40歳、センター試験を解いてみた。

先日、Twitterでこんなブログの記事を見つけた。

"Ph.D.化学者が今年のセンター試験(化学)を解いてみた - 化学者のつぶやき -Chem-Station-"

化学系ブログ「ChemStation」を主催されている化学者の方が、今年のセンター試験に果敢に挑んだ経過と、その結果、問題についてのツッコミなんかが書かれている。「プロの有機合成化学者の考え方とセンター試験の出題者の考えの微妙なズレ」とかが見えてきて、なかなか興味深い記事だった。


これに触発されて、自分も22年ぶりに、センター試験(私が受けたときは共通一次試験)を解いてみようと思った。とはいえ、今の自分の専門領域は薬学。高校の物理も化学も生物も、ごくごく一部しか使わないので、問題文自体理解できないのは必至・・・


精神的ダメージをうけるのはキツイ(笑)ので、仕事がら毎日使っている「英語(リスニング除く)」、日本人ならなんとかなるだろうという「国語」、高校時代やってて今も少しは興味は持ってる「地理B」を解いてみることにした。


で、なんとか今日一日で、この3教科を終了。答え合わせ&自己採点までたどり着くことが出来た。頭はふらふら、受験生の気力に頭が下がる思い。


で、結果。


英語 182点

英語は仕事柄「読むこと」「聞くこと」についてはトレーニングされてるので、「読むこと」がメインのセンター試験の英語はなんとかなると予想。案の定、それなりの得点はとることができた。


失点の多くは、第一問の小問1「同じスペルで発音が異なるものを選べ」という問題。現役の時も、この手の問題はあり、苦しんだことがある。発音の問題を、文字ベース、単語ベースで出題するなんて意味がない、とずーっと思っている。自分が苦手だから言ってるだけという話もあるが。


文法、読解については、TOEICの問題の方がとっつきやすい。センター試験の英語は、日ごろ使ってる仕事の英語とはやはり解離している。ビジネスという意味では、大学に入ってからはTOEIC的英語もしくは理系の場合は科学英語を学ぶのがいいのでは、とおもう。センター試験レベルの英語は、より深く学問を知る、教養を高める的使い方になるのかな、なんて思ったりもした。


国語 164点(現代文 93点、古文漢文 71点)

国語の現代文は、毎日文章を読み書きしたり、本を読んでいたりすれば、読解力についてはキープされるだろうと思ってたけど、やはりそうだった。読むヒトのことを考えて、わかり易い文章を書くという意識が大事なんだと痛感。


評論文は、いつも読んでる本に比べると堅くて分野もちがってたけど、問題自体は迷いなく選択枝を選べるものだった。小説は、続きを読みたくなる面白い文章。いまどきの高校生を意識した出題だったのかなぁ。実際に思春期手前の親の気持になって読めたのがとても新鮮だった(だからよく理解出来たのか??)。


古文漢文は、「語学は使わなければ錆び付く」を地で行く成績。昔は、もっともっと話の筋はきちんとつかめたと思う。書き下し文なんてのも記憶の彼方だったな。


地理B 82点

暗記した知識よりも、「知識をもとに世界の現状をつかんでいるか」という問題が非常に多い。また「データをもとにその地方の実情を推測する」という、暗記すら必要がない問題も多い。だから、歴史科目よりは遥かにとっつきやすい科目だ。


日ごろの「新聞やネットのニュース記事を流し読みする」という動作を一歩進めて、新聞の特集記事や新書などで知識を深めれば、もっと点は伸びたかもしれない。あと、この教科特有の「地図問題」ってのは、一度覚えるとなかなか忘れないし、地図を眺める事自体とても楽しいものだ。あらゆる意味で、興味深い科目だと思う。


大人&親になって、あらためてセンター試験を解いてみると、受験生当時とは全く違う視点で入試問題というのをみることができた。今回取り上げた3教科は、いずれも、今を生きていく上で基本になるものだということもわかった。生きていって、仕事や人生の経験を積んでいくと、いがいと高校時代と同じかそれを上回ることができるかもしれない。


逆に理科の科目は、大学以降はどうしても専門化と視点の変化が進むので、センター試験的なオールマイティーな問題では良い点を取るのは難しいのではないかとおもう。


というわけで、人生経験豊富なヒトは、新聞に載っているセンター試験の問題を、たまには力比べのつもりで受けてみるのも良いかもしれない。

ヒトの数字に対する好奇心と執念

数の列と書いて数列と読む。


数列の定義からすれば、たぶんどんなランダムな数の列でも数列というのだろう。しかし、ヒトの不思議さと言うか、なんらかの法則性をもった数の列を、ヒトは山のように発見している。


Twitterには、@number_botというアカウントがある。Twitterでの発言数が、ある数列の特定の数になると、アラートしてくれる。その特定の数というのが、なんともいえずそそるものがあるのだ。


Twitterのつぶやきからピックアップしてみる(@drug_discoveryは私のアカウント)。

アキレス数「自然数で多冪数のうち累乗数でない数」「powerful(冪)であるがperfect(累乗)でない存在..アキレスの名前を冠する」つぎのアキレス数は、3528。RT @number_bot: @drug_discovery さんの投稿数が30番目のアキレス数3456に

お、新しい数字が来た。エマーブ「桁の並び順を反対に入れ替えると異なる素数になる素数(回文素数は含まれず)」101番目が何なのか、とても気になる。RT @number_bot: @drug_discovery さんの投稿数が100番目のエマープ3049に達しました

つぎのカーマイケル数は、2465。すぐかな。「ほぼあらゆる底においてフェルマーテストを通過してしまう擬素数が存在し、それらはカーマイケル数と呼ばれる」RT @number_bot: @drug_discovery さんの投稿数が3番目のカーマイケル数1729に達しました

次のナルシスト数(ナルシシスト数)は、8208かぁ。はるか先だ。ナルシシスト数:n桁の自然数であって、その各桁の数のn乗の和が、元の自然数に等しくなるような数。RT @number_bot: @drug_discovery さんの投稿数が14番目のナルシスト数1634に達しました

テトラナッチ数: a(n) = a(n-1) + a(n-2) + a(n-3) +a(n-4). 次のテトラナッチ数は、2872。先は長いです。RT @number_bot: @drug_discovery さんの投稿数が15番目のテトラナッチ数1490に達しました

リュカ数は、フィボナッチ数と共に自然界に多く存在する。生成式は同じで、初期値が違う。次のリュカ数は、5778 RT @number_bot: @drug_discovery さんの投稿数が17番目のリュカ数3571に達しました


とにかく、沢山ある。見知らぬ数列の名が出てくるたびに、ネットで調べるのはとても楽しいものだ。ヒトの数字に対する好奇心と執念というものを垣間見るような気がする。


そして、その集大成の一つとも言えるのが、ベル研の数列サイトであろう。

数列のデータベース。ベル研のサイト。これは凄い。
Welcome to the On-Line Encyclopedia of Integer Sequences 
http://www.research.att.com/~njas/sequences/Seis.html


いったいどれだけの数列が含まれているのか想像がつかない。とにかく、さまざまな数の列が、番号をつけて管理されている様はすごいとしかいいようがない。ふらふらとさまようだけでも、数の世界にどっぷり浸れそうだ。


今日も、たくさんつぶやいたけど@number_botは来なかった。見たことがない数列がこないかなぁ、などと思いながら、Twitterを続ける毎日である。



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バックグラウンドデータとワクチンの安全性評価

ワクチンは、短期間に数十万人・数百万人のヒトに投与される。そのため、臨床試験では検出することができない、まれな有害事象が生ずることがある(ここでの有害事象は、ワクチン投与との因果関係を問わない)。投与直後のアナフィラキシーのように、ワクチン投与との因果関係を推定しやすい有害作用もあるが、ワクチンとの因果関係がわかりにくいものも多い。

ワクチン投与後の有害反応のなかには、ワクチンが投与されなくても偶然に生じるものがある。その例として、ギラン・バレー症候群、突然死、自然流産などがあげられる。ワクチンの臨床試験では、症例数が少ないために、これらの有害作用とワクチンの因果関係についてはっきりした結論が出しにくい。

したがって、ワクチンを数百万人単位で接種する場合には、通常の状態での各有害事象の発生率(バックグラウンドデータ)を把握することが必要である。そして、バックグラウンドデータをもとにした、安全性の議論が必要となる。

このバックグラウンドデータに付いて、詳細に報告しているのが、先日Lancetに発表された論文である。

Importance of background rates of disease in assessment of vaccine safety during mass immunisation with pandemic H1N1 influenza vaccines

The Lancet, Early Online Publication, 31 October 2009
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(09)61877-8/abstract


この論文では、公的機関のデータベースや、学術論文から、各種有害事象の自然発生率を集計している。国別、年齢別にきちんと整理されていて、大変見やすいものとなっている。また、数百万人単位での集団接種を行うときに、ワクチン接種に関係なく偶然生じる有害事象数の推定もしている。

この推定値については、推定方法の是非・推定時の仮定などによって大きく変わることがあるので、そのままうのみにするわけには行かない。また、この推定値をもとにして、すぐさま安全性の議論をはじめるというのも拙速だろう。

しかし、バックグラウンドデータをもとにしたワクチンの安全性評価について、基本的な方法論を提示しただけでも、この論文の意味は大きいと思う。本来は、もっと早くから、このような議論がオープンに行われていてもおかしくはなかった。

この論文を読んでいて残念に思ったのは、日本のデータが全く含まれていなかったことだ。著者に日本人が含まれていないため、当然のことではある。論文によると、国によってバックグラウンドデータは異なることが予想される。日本でも、同様なデータを調査し、バックグラウンドデータに元づく安全性の議論がなされることを希望したい。

「創薬」という言葉。

このブログ「創薬研究者のメモ書き」なんて名前を付けている。「創薬」というのは、英語の「drug discovery」または「drug development」の日本語訳で、分かりやすくいうと「新薬開発」を別の言葉で言いなおしたものだ。ちなみに、私のTwitterアカウントの@drug_discoveryも「創薬」に由来したものである。


この「創薬」という言葉。一体いつ頃からいわれだした言葉なのかは、よくわからない。学術雑誌のアーカイブ(Journal@rchive)で調べてみると、どうやら1967-68年の段階では「創薬研究」という使われ方をしている。私の生まれた年よりも古い言葉だ(追記;正式なソースは未確認だが、1964年、野口照久氏によって提唱されたという)。


藥學雜誌, Vol. 88 (1968) No. 2 pp.227-234


さて、この「創薬」という言葉。業界で盛んに取り上げられるようになったのは、1980年代後半以降のことだといわれている。「創薬」というキーワードでJournal@rchiveを調べてみると、1968年の論文の次は、一気に1980年代に飛んでいる(これは、アーカイブの収録雑誌によるものかもしれないが)。


1980年代後半には、日本の製薬業界では「日本発のオリジナル新薬をつくろう」という動きが大きくなって来た。それまで、日本の製薬企業の薬は、欧米の新薬の後追いである「me too drug」と呼ばれるものが多かった。


「新規メカニズム、オリジナル製剤」など、日本独自のモノを求める動きが、クリエイティブな響きをもつ「創」の字を薬の世界に再び登場させたのだろう。


創薬」の時代になってから、日本発のオリジナル新薬は確かに増えた。プログラフ、ラジカット、ハルナール、アリセプトアクトス、リュープリン、そうそうたる新薬群が、ブロックバスターとなった。


しかし、これらに続く後続の薬が十分あるかというと、残念ながら不足していると言わざるを得ない。私たちの世代の創薬研究者が、はたしてかつての「創薬ブーム」の再来を可能にできるのか。当事者としては、しんどいところだ。


新薬開発は何が起こるか分からない。失敗も多いが、思いもよらない成功もある。「創」という文字には「物を作り始めるときに、切り出すことや、封じていたものを切り開く」という意味があるらしい。「どんなタイミングで、新しい切り口が見つかるか分からない」という意味で、「創」という文字は、私に勇気を与えてくれる、そんな気がした。


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企業研究者、たまにはこんなブログ記事を書いてみては。

メインブログにこんな記事を書いた。

「ハエの踊りと新薬開発」
http://kentapb.blog27.fc2.com/blog-entry-1833.html

簡単に内容を紹介すると、こんな感じ。


ショウジョウバエの変異体のなかに、変な挙動(エーテルを嗅がせると踊るようなしぐさをする)をするものがいて、その変異の原因遺伝子は、あるカリウムチャネルをコードするものだった。このチャネルの発見は、カリウムチャネルの体系化には役に立ったが、生理的意義ははっきりしていなかった。


数十年後、このカリウムチャネルのホモログがヒトにも存在することが判明し、hERGチャネルと命名される。そして、市販薬の心臓に対する副作用(致死性不整脈)の原因が、このhERGチャネルあることが判明する。hERGチャネルの評価は、医薬品安全性評価の必須項目となり、医薬品開発の方向性は大きく変わった。


基礎研究と応用研究をつなぐエピソード、というお題での記事である。


このような記事は、基礎研究の研究者が書けそうに思えるが、実際のところは応用研究を行なっている企業研究者の方が書きやすいのではないかと思う。自分が担当している製品には、かならず多くの基礎研究がつかわれている。自分の研究を進めるためには、基礎研究についての知識は必須であり、そのなかで現在の応用技術とのつながりは自然に見えてくるはずだ。


私が好きなブログのひとつに「有機化学美術館・分館」がある。このブログの管理人である佐藤健太郎氏は、現在は東大の教員として化学の普及活動にあたったり、サイエンスライターとして多数の著書を著している。

有機化学美術館・分館
http://blog.livedoor.jp/route408/


もともと、佐藤氏は製薬会社の研究員であり、研究活動の傍ら、多くの有機化学関連の記事をホームページやブログに掲載されてきた。美しいCGによる化学構造式をバックに、基礎的な有機化学の話から、生活・医療に結びつく化学物質の話まで、その話題の詳しさと豊富さはすばらしいものがある。


この知識の多くは、佐藤氏の研究活動の中から体感として得られたものと思われる。応用研究をしているからこその基礎研究の面白さ・大切さを、絶妙なタッチで現す手腕は、いつ見ても凄いと思う。


企業研究者は、自分のもってるバックグラウンドを元に、もっといろんなアピールして目立ってもいいと思う(もちろん守秘義務は守らねば行けない。あくまで、一般論、公知の範囲のレベルで)。製品を世の中に送り出すのは一番大事な仕事だが、現在いろいろと苦労している基礎研究の応援団としては、企業研究者は最適な存在だとも思うのだ。


私も、微力ながらその中に加わろうと思っている。


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無理に効率の善し悪しを研究活動に持ち込むと。

基礎研究と応用研究というのは、完全に独立したものではない。基礎研究が応用研究に役立つことは、往々にしてあることである。そして、その結びつきが意外であればある程、波及効果は大きいものである。基礎研究の費用対効果が予想しにくいのは、このためである。


そんな中、無理に効率の善し悪しを研究活動に持ち込むと、研究の鋭さが鈍ることが多い。


これは、以前書いた新薬開発における「化合物ライブラリー」の話にも似ている。


効率的・実戦的方針で選んだライブラリーは、確かに化合物を拾うことはできる。しかし、その結果は予想の範囲内であり、確実ではあるが意外性は少ない(とはいえ、創薬の世界では意外性よりも確実性が特に好まれるのだが)


天然物などから選んだ、効率をある程度度外視したライブラリーは、ヒトへの適応方法や、効率的合成方法、副作用分離などに手こずったりもする。しかし薬としての活性はピカイチのことが多く、当たるとでかい。天然物由来のそうそうたる薬物群(抗生物質、スタチン、FK506、タキソール、、、)を見るとそれがわかる。研究活動の鋭さが、効率を凌駕する一例だ。


基礎研究は費用対効果が低い・効率が低い、といって、そこをばっさりと切り落とされると、研究の矛先の鋭さは鈍くなり、クリアできる課題もクリアできなくなる可能性がある。その辺りを肝に銘じて、基礎研究の役割を考える必要があると思う。

「輸入インフルワクチンで不妊」というデマ。

メインブログの方でも話題にしたが、「輸入インフルワクチンで不妊」というデマが流れている。Yahooのコメント欄や知恵袋で、このようなデマを流している人間が居るらしい。

Googleで検索してみると、デマの大元のサイトだけでなく、一般の人のブログで不安を訴える、もしくは不安を喧伝するものが多く見られた。

もちろんこれは、でたらめである。詳しくは下のリンクを参照。

「輸入インフルワクチンで不妊」は嘘・デマです。
http://kentapb.blog27.fc2.com/blog-entry-1830.html

こういう話は、「都市伝説」「トンデモ」というくくりで、おもしろおかしく伝えられることが多い。確かに、笑って済ませられる「トンデモ」というものは存在するし、いわゆる「トンデモ本」は私も大好きである。

しかし、今回のような「トンデモ」は笑って済まされない。ヒトの命に関わる可能性があるからだ。根拠のないデマによって、ワクチン接種という大事な選択肢を閉ざされてはならない。

あまりに不安を喧伝するサイトが多いせいなのか、Googleで検索した限り、このデマを否定するサイトは見つけられなかった。なので、ささやかながら、デマ解消の記事を書くことにした。どの程度広がるかは、メインブログの影響力次第だが、少しでも不安が解消されることを祈っている。