無理に効率の善し悪しを研究活動に持ち込むと。

基礎研究と応用研究というのは、完全に独立したものではない。基礎研究が応用研究に役立つことは、往々にしてあることである。そして、その結びつきが意外であればある程、波及効果は大きいものである。基礎研究の費用対効果が予想しにくいのは、このためである。


そんな中、無理に効率の善し悪しを研究活動に持ち込むと、研究の鋭さが鈍ることが多い。


これは、以前書いた新薬開発における「化合物ライブラリー」の話にも似ている。


効率的・実戦的方針で選んだライブラリーは、確かに化合物を拾うことはできる。しかし、その結果は予想の範囲内であり、確実ではあるが意外性は少ない(とはいえ、創薬の世界では意外性よりも確実性が特に好まれるのだが)


天然物などから選んだ、効率をある程度度外視したライブラリーは、ヒトへの適応方法や、効率的合成方法、副作用分離などに手こずったりもする。しかし薬としての活性はピカイチのことが多く、当たるとでかい。天然物由来のそうそうたる薬物群(抗生物質、スタチン、FK506、タキソール、、、)を見るとそれがわかる。研究活動の鋭さが、効率を凌駕する一例だ。


基礎研究は費用対効果が低い・効率が低い、といって、そこをばっさりと切り落とされると、研究の矛先の鋭さは鈍くなり、クリアできる課題もクリアできなくなる可能性がある。その辺りを肝に銘じて、基礎研究の役割を考える必要があると思う。