推理小説のような論文。

商売柄、新薬を紹介している論文は目を通すようにしている。雑誌のWebサイトをみれば新着記事は直ぐ分かるし、メールで新着論文のアラートを送ってもらえる雑誌も多い。とても便利な時代になった。

注目するのは、どのようなスクリーニング方法で化合物を探し出して来たか、というところ。私が好きな論文は、「in vivoスクリーニング」で探し出された化合物を扱った論文だ。

in vivoスクリーニングとは、病気の状態にした動物にスクリーニング化合物を直接投与して、薬剤の治療効果を調べるというやり方である。20世紀半ばの薬のスクリーニングでは、このやり方が普通だった。

動物に飲ませる化合物を合成する手間や、大量の実験をこなせない、などの問題はある。しかし、このin vivoスクリーニングで見つかった化合物は、作用メカニズムは不明ではあるものの、誰が見ても確実に効く化合物である。そのインパクトは、薬理の研究者にとってはたまらない。

「in vivoスクリーニング」で探し出された化合物を扱った論文は、その作用メカニズムを探る方向に論が進んで行く。いろいろな実験をおこない、ターゲット分子を絞り込んで行く。その結果、意外な分子がターゲットであることも多い。

そんな記述を見つけたときは、すなおに「へー」という言葉が出る。これは、推理小説で、探偵の論理の帰結として意外な真犯人が見つかったときの読後感と全く同じ物だ。

最近はやりのゲノム創薬では、ターゲット分子はあらかじめ分かっており、病態との関連も示されている。種が分かっている手品のような物だ。

そのため、ゲノム創薬によって得られた化合物の報告論文は、「細胞やタンパクを使ったin vitro試験(試験管内実験)でスクリーニングし、化合物の体内動態を確認して、吸収性があると分かったのちに、in vivo試験で効くことが分かりました」という、まるで新聞記事のような内容となる。

これはこれで、興味は持てるのだが、読後感はそれほどすごいものではない。「確かにそうだよね」という一言で終わってしまう。もちろん「先にやられた〜」という悔しい思いをすることも多いが、それはそれ。

in vivoスクリーニング、昔は私もやっていた。データを見るときのわくわく感は、in vitro試験の比ではない。その思いが、論文にも伝わっているのはないか、と思う。