「賢い議論」というのは、結論の真偽で判断するのではない。

「賢い議論」を見聞きするのは気持ちのよいものだ。議論の各論の中身については誤りを含んでいたとしても、「自分の論を認めさせるための論理的方法」という枠で見て、「これは見習わないと」ということも多い。

論理展開の誤謬は、間違った前提とは独立して存在する。前提が誤りで、結論が偽だったとしても、論理展開の方法論が正しい事例はもちろん存在する。

トンデモさんの議論の場合は、前提も論理展開の方法論も双方間違っているので、訳が分からない。しかし、論理的素養を持っているヒトの議論は、前提や結論はトンデモナイことをいうが、「話の筋」だけは通っている。世の中の科学論文でも、そのような物が認められるのではないだろうか。

「賢い議論」というのは、結論の真偽で判断するのではなく、あくまで「話の筋」で判断すべきだと思う。

自分の思いのニュアンスが、この文章ではうまく伝わっているか自信がない。私には、「賢い議論」はまだまだ無理のようだ。