薬の発明と発見。

新薬は、現在はヒトの手によって「発明」されたものがほとんどである。製薬企業がこれまで合成してきた膨大な化合物ライブラリーの中から、新薬の種となる化合物を見つけ出し(これは「発見」とは言わない)、その化合物にさまざまな有機合成反応で修飾を加え、優秀な開発候補化合物へと仕立てていく。その際の工夫や努力は、「発明」という言葉にふさわしいと思う。

一方、新薬の由来として、自然界から「発見」された新規物質(天然物)を用いることもある。抗生物質やある種の抗がん剤は、微生物や海洋生物などから得られたサンプルから、生物評価によって発見されたものである。発見された化合物そのものは薬にできず、ヒトの手で多少の修飾が加えられることもあるが、元々の化合物はヒトが作り出したモノではないので、やはり「発見」と呼ぶのが妥当だろう。

現在では、天然物からの薬剤探索というのは下火(なくなったわけではない)であり、劇的な「発見」というのはなさそうにも思われる。しかし、「発見」は、実は研究現場にも転がっている。

新薬候補化合物の評価をするうちに、まったく想定外の薬理作用を見つけ出すことがある。これは立派な「発見」である。ジルチアゼム(抗不安薬薬から狭心症薬薬)、シルデナフィル狭心症薬からED治療薬)、ミノキシジル(効圧薬から発毛薬)など、これらの例はたくさんある。

私は、薬理系の研究者なので、実際に手を動かして化合物を合成し「発明」をすることはできない。正直言って、日頃のスクリーニング作業は「発明」の単なる手助けであるといってしまっても過言ではない(もちろん、これはこれで非常に重要な作業である)。しかし、その作業によって得られたデータから「発見」をすることは、可能性は低いながらも可能である。

「発明」も「発見」も、新薬開発には大切である。「発明」と「発見」の間に優劣はない。あと何年研究現場に入れるかわからないが、せっかく薬理評価という「発明」のきっかけを与えてもらっているのだから、チャレンジの姿勢だけは常に保ち続けたい。