安全性・毒性を把握するということ。

危機的状態にあった新型インフルエンザの重症患者に、通常吸入薬として用いられている「リレンザ」を静脈内に投与することで、容態を回復することが出来た、との報告が、医学雑誌ランセットに掲載された。

 医師団はリレンザを認可された吸入方式で投与したがやはり効き目がなく、その後の2週間で次第に病状は悪化した。

 生死の境目をさまよう女性に対し、医師団はリレンザ製造元の製薬大手グラクソ・スミスクライン(GlaxoSmithKline)の特別協力を得て、リレンザを静脈注射するという賭けに出た。すると女性の病状は劇的に改善し、48時間以内には人工呼吸器を外し、集中治療室から一般病棟に移れるほどに回復したという。

このような決断をできた医師を尊敬する。なにごとも、最初のひとりとなるのが一番大変であり、勇気が必要だ。神様も、この勇気を応援してくれたのだろう。

しかし、その裏側には、製薬会社の行なっていた徹底的な安全性試験の結果があるのは間違いない。薬の安全性、毒性を把握していない段階では、このようなトライはおそらく不可能だろうし、すべきではないと思う。

どのような安全性の裏付けがあったのかは推測の域をでない。日本におけるリレンザの申請資料をちょっと調べてみたところ、今回の事例での安全性を担保できそうな実験結果が見つかった。幼若ラット(子供)での試験ではあるが、成熟ラット(大人)についても同様の結果が出ているようである。

実験とその結果。
予定臨床用量(10mg/回)を小児に投与した時に想定される最大の血中濃度に比較して、約7000〜11000倍に相当するリレンザを、幼若ラットに皮下投与した。41日間の皮下投与試験において、毒性学的意義のある変化は認められなかった。

本薬投与に起因する死亡例は、幼若ラットおよび成熟ラットともに投与可能最大量である90mg/kg/日までの反復投与においてもみられず、一般状態、体重、摂餌量および眼科学的検査にも本薬に関連した変化は認められなかった。血液および血液化学的検査では、両試験において赤血球系パラメータあるいは電解質などに変化がみられた。器官重量では、幼若ラットで肺の相対重量の増加、成熟ラットでは肝臓の絶対重量の減少がみられた。しかし、これらの変化においても、関連する検査項目、器官あるいは組織に変化は認められず、いずれも毒性学的意義のないものと判断された。

この試験の他にも、成熟ラット1ヵ月間静脈内投与試験も行なわれている(これは新薬開発ではごく普通に行なわれている試験)。データは見あたらなかったものの、上記のデータからはおそらく重篤な副作用は認められなかったのだと思われる。一番恐いのは、急激に薬剤が体内に入るという静脈注射によっておこるアレルギー反応と考えられるが、こればかりは「神頼み」するしか手がない。

基本的に、毒性がない物質はありえない。製薬会社の安全性評価部門の仕事は、新薬候補化合物の安全性を確認することではなく、毒性を見つけ出すこと。薬の安全性・毒性を把握することによって、初めて新薬候補化合物は薬になり、様々な用途に使うことができるようになる。その結果、今回ヒトの命をひとり救ったのだ。