弘法じゃないけど筆を選ぶ。

MacBookのスペースキーが壊れたので日本語の入力が出来ない。壊れたのは、スペースキーを金具に止める1mmくらいのプラスチックの爪。これがないと、キートップがしっかり固定できずふらふらになる。スペースキーを押せないことはないのだが、ものすごくストレスがかかる。

しばらくは、予備のWindowノートを使わないといけないかもしれない。依頼された連載の原稿の締め切りも迫っている。こういうときに、使い慣れたパソコンを使えないのはつらい。

仕事ではWindow機を使っているが、プライベートの文章を書くときはMacを使っている。両方とも文章をかくという基本的な機能は当然持っているが、プライベートな文章を書くときの気の乗り方というのは、使う機械に依存するような気がする。

文字のフォントの見え方、キータッチのやわらかさ、トラックパッドの感覚、、これらは書く内容には何の関係もないが、書くという行為には非常に重要な役割を果たす。いい悪いの問題ではなく好き嫌いの問題であり、だからこそ安易に変更することが出来ない。

明日は、時間があれば大阪心斎橋のAppleStoreにいこうと思う。予約なしの飛び込みだと相当待たされることになるだろうが、夜10時まで営業しているらしいので、会社帰りでもなんとかなりそうだ。

いい大人が板ガムのようなキーパッドに振り回されるのは情けないが、それだけ機械に依存してるということは、高い買い物の元は十分取れているのだな、とも思う。